MLB、ダルビッシュ投手のツイッターでの発言で試合内容以外でも注目を集めた甲子園も含め各年代の様々な競技で大会が一区切りがつきました。
私としては18歳という年齢であれば競技人生を賭けさせる選択は本人が負っても良いと考えてはいるのと同時に競技人生を賭けないといけないようなシステムを大人が早く変えなければいけないと思っています。
今回、ダルビッシュ投手の発言が大きなニュースとして取り上げられたことで世間の声を聞くことが出来たことで改めて自分が学生スポーツをどうしていきたいかを考えることが出来ました。
まだ、自分の頭の中もごちゃごちゃしていますが言葉にすることで少しでも整理出来たらと思います。
私はスポーツが好きです。スポーツの魅力に憑りつかれている人間です。
スポーツは大きな魅力があると思っています。ましてや甲子園のような舞台は太陽のようなものだと思います。
今の学生スポーツは様々な問題を抱えていますがその輝きを失って欲しいとは思っていません。
なんとか良い解決策を見つけていきたいと思っています。
【もくじ】
・大会日程の過密
・競技をしたいと思う選手全員に機会を
・体育とスポーツ
・スポーツの価値は「楽しい!」こと
・大会日程の過密
大船渡高校の選手起用についてある野球解説者のコメントが注目を集めました。
ニュースで見聞きしたところ監督は以前よりチーム内で「連投はさせない」と伝えていたとのことなので起用方法にチームの外からあれこれ言うのは野暮だと感じます。
もちろん本人は投げたかったはずですし、悔しい思いがある中であのような発言をすることは本人とチームに対して失礼です。監督を始め、チームは現行のルールでチームとしての最善を目指し選択をしたのだと思います。
私が問題に思っているのは野球のみでなく多くの競技で全国大会の日程が過密になっていることです。
近年はスポーツ科学の発達とトップアスリートの技術が若い選手にも伝えられるようになったことで競技レベルが高くなっています。160㎞/hと140㎞/hの球を投げるのでは当然、身体への負担が違います。さらにレベルの高い選手同士で試合をすれば負担は一層増えます。「俺たちの時代はこうだった」は通用しないでしょう。
また、スポーツ医学の観点からも休養の必要性や投げ過ぎがケガにつながることは明らかになってきています。出来る限りチームがベストな状態で大会に臨めるように運営方法を見直していく必要があると思います。
甲子園であれば、
1.予選を春から始める
2.広域地域(関東など)予選で出場チームを減らす
3.中学野球、女子野球などと共催をする
を組み合わせていくのがが良いと思っています。
繰り返しになりますが、これは野球に限った話ではなく、他の競技でも必要な議論だと思います。
私が行っているバドミントンでも、今回のインターハイである選手が5日間で18試合を行っています。メディアも「最後までよく頑張った!」という論調です。若い選手が身を削っている姿をみて感動するのはいい加減やめませんか?
・競技をしたいと思う選手全員に機会を
ダルビッシュ投手も提案されているように投手をケガから守るために投球数に制限をすることが議論されています。選手をケガから守るためにも早急に導入すべきだと考えています。
投球制限を導入したら一部の私立しか勝てなくなる、と反論が来ますが「だからどうした?」としか思えません。甲子園に行けたという成功体験は選手にとって意味があることではありますが、選手の身体の方が重要だと思いますし、「甲子園を目指して練習をした日々」のほうが遥かに価値があることだと思っているからです。結果として選手を集めている一部の私立が甲子園に行くことになったとしても(現在もほぼそうなので実質変わらないとも思いますが)高校野球を行う価値は変わらないはずです。
さらに、選手も甲子園に本気で行きたいと考えるのであれば進路選択が変わるだけだと思います。自分にとって何が大切かを考える力は15歳であれば十分に持っているでしょう。(ただし、学業とスポーツは本来は関係がないので、教員の働き方からも部活動を地域クラブに移行するのが望ましいと思っています)
また、投球制限を他の選手の出場機会が増えることため「良い」という意見も見られました。私は学生スポーツで一番の問題が補欠問題だと考えていますが投球制限とは分けて考えるべきで、投球制限は選手のケガの観点からのみ議論すべきです。
まず第一に様々な要求が絡むと制度の導入が遅れるためです。また、私は競技能力が高い選手には相応の敬意を示すべきだと考えています。160㎞/hを投げれるようになるには相当な鍛錬が必要です。その能力を手に入れていることは正当に評価すべきです。
ただし、間違えてはいけないのはその敬意はあくまで「競技に限ったものである」ということです。競技能力が高いからといって人間として偉くなる訳ではないということを指導者は態度で示していくべきだと思います。
補欠問題解決の為に私が行っていることは選手の競技レベルによる区分があるリーグ戦の普及です。
先ほど甲子園を目指した日々に価値があると言いましたが、全ての選手が甲子園を目指して日々野球に取り組むことは現実的ではありません。余りにも遠い目標に無力感に襲われ競技から離れてしまう選手も出てくるはずです。それぞれの選手に合わせた目標を設定することは教育としても価値があることだと思います。
今年度より新潟県のバスケットボール協会がU18リーグを新設しました。この様な取り組みが増えていくことを願っています。
また、補欠問題は「人権問題」でもあります。欧州では指導者に全員に出場機会を与えるのが義務付けられています。日本でも大人であれば全員が試合が出来る地域のオープン大会と競技のトップを決める大会と両方あり各自のニーズに合わせて出場しているはずですし、チームに所属して部費を払っているのに練習はレギュラーメンバーの補助で試合は応援のみであれば確実にチームから離れるはずです。部活動の教育でスポーツをする権利を奪っているのは大問題です。
・体育とスポーツ
上記に書いたように私は学校教育から部活動を切り離していくべきだと考えています。これは体育とスポーツは目的が全く異なるのに学校教育の一部として行われる部活動ではごちゃ混ぜになってしまっているからです。
体育は「生きていくのに必要な体力を身につけること」でスポーツは「身体を使った遊び」だと思います。学校教育として行うべき体育を定め直し、それ以上のものはスポーツとして地域クラブなどに移行すべきです。
今は文科省から部活動のガイドラインが出ています。対処療法としては必要だと思いますが、ガイドラインより多く競技を行いたいと考えている選手もいるはずです。身体の限界を超えるような練習は止めるべきですが一律に規制するのも無理があると思います。
選手のニーズに対応できるように地域クラブにスポーツを渡していくべきです。
地域クラブに移行すべきだと考えているのにはもう一つ理由があります。学校教育の一環として部活動を行うことで教員内で「教科教育」と「部活動教育」で派閥が出来ているようにみえるからです。(極端な意見が目につき易いのだとは思いますが)
傍から見ていて自分が育った環境を過度に評価しているだけに見え、自分の経験が教育には絶対に必要なのだと主張し合っているだけに感じます。
生徒が何から学ぶかは本人次第なところがあると思います。教育に関わるのものは自分の経験を絶対視せずに目の前の生徒に何が必要かを見て欲しいと思います。その為にも教員の業務の削減は行うべきだとも思います。
甲子園に代表されるような各年代の全国大会も学校教育としてではなく興行として運営したほうが良いと考えています。
学生を使って金儲けをするのかと反論が来ると思われますが、学生が興行に関わってはいけない理由はありません。アイドル活動や俳優などで小学生から興行をしている人は居ますし、高校生であれば起業してビジネスをしている人も居ます。スポーツだけ特別扱いにする理由はないはずです。
また、興行にするとチケット代が高騰して子供らが観戦できなくなるという意見も聞きますが、プロ野球でも小学生の無料招待を行っていますし、同様のものを運営が実施すればいいだけです。私には今まで安く楽しめていたコンテンツが高くなって困ると自分の話をしているだけに聞こえます。
・スポーツの価値は「楽しい!」こと
最初に書いたように私はスポーツの魅力に憑りつかれた人間です。スポーツにも勿論のこと社会的な教育価値はあると思いますが、元来が「遊び」であることからスポーツを行う理由は楽しい!で十分だと考えています。
理想論ではありますが、楽しいという理由でスポーツが出来ることは豊かな社会の象徴だと思います。
先人の方々のおかげで豊かな社会になっています。
スポーツという娯楽を目一杯楽しめる社会がいいと思っています。
論点がぼやけていて書き終わった後でも整理が出来てないですね。
ダルビッシュ投手みたいに願いを一つにするにはまだ時間がかかりそうです。
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